大河ドラマ「真田丸」 第37回 信之 感想

カテゴリ:真田丸
日時:2016/09/19 23:01

信幸・忠勝の助命嘆願、家康による昌幸嘲笑などなど、名場面続出の第37回。激する秀忠も意外にいい。真田好きにはつらい場面が続きますが。

ではドラマスタート。真田信幸も(黒田孝高伊達政宗も)ビックリの関ヶ原早期決着。真田昌幸はいまだに受け入れることができず、徳川秀忠が備えとして残していった兵を掃討。気の毒ですが、無駄なあがきです。

そうこうしているうちに、徳川家康の大坂城入城、石田三成捕縛の情報を佐助がもたらします。大坂城に入ったということは、豊臣秀頼を押さえられたということ。家康への抵抗は何の大義名分もなくなったことを意味します。にもかかわらず、抵抗を続けようとする昌幸を真田信繁が諫止。ついに敗北を受け入れたものの、廊下を殴り続ける昌幸が痛々しい。

真田降伏を秀忠が報告すると、上田城を落とせなかった件を家康に皮肉られます。家康にはいいなりキャラかとおもいきや、言い返すそぶりを見せます。幼稚にブーたれているだけのムカイリ秀忠とはまた違う、あまり萎縮しないタイプの秀忠のようです。 一度は本多正信の制止で飲み込んだものの、ついに不満が口を突いてしまいます。

秀忠「お言葉でございますが父上。我らは攻め落とすつもりでいたのです」
(せきばらいで止める正信)
秀忠「父上からの西へ急げとのお言葉がなければ、間違いなく攻め落としておりました」
徐々に感情が高ぶって、最後は予想外に強い語調になってしまう秀忠。微妙なキャラをうまく表現するなー。>星野源

家康の命令で城攻めをやめただけで、継続していれば攻め落とせていただろうという、最近の説が取り入れられているところも興味深い。すると、真田と徳川では第二次上田合戦について認識が異なることになります。ドラマの昌幸らは「徳川に勝った」と思っているが、ドラマの秀忠や家康は、城攻めを止めただけで負けたとは認識していない。ドラマでは、特にこの認識のズレはスルーしていましたが。

場面は上田城へ。平野長泰が受け取り役としてやってきます。条件を読み上げる三十郎の切なさが伝わってきました。

平野らが去った後、信繁とヒゲ誠の2人が残されます。

信繁「あの烏帽子岳が3度白くなると里にも雪が降るといわれています」

ブラタモリでアドリブ入れると言ってたネタキター!

信幸は父と弟の助命嘆願のため、大坂行きのお支度中。そこへ本多忠勝が大坂から駆け付けます。信幸の言葉にうたれ、同行を申し出る忠勝。まぁ忠勝が助命嘆願に参戦するのは既定路線なので驚きませんが、大坂から来たばかりだというのにすぐ大坂に行くというところが泣かせます。

そして大坂。

家康「安房守を助けてやりたいのはやまやまだが、ここは親子ともども死んでもらう」

「死んでもらう」のあたりのあっさりした言い方といい、「助けてやりたい」とは全然思ってませんね。

そこで忠勝が嘆願に参戦。しかし家康と本多正純は全く取り合いません。

忠勝「ならば拙者、これより婿と共に上田城に立てこもり、徳川の兵を相手に討ち死につかまつる」

これには家康も苦笑して受け入れます。が、タダでは済みません。助命の代わりに、信幸は父と縁を切り、通字の「幸」も捨てよと命じられます。

「かしこまりました」というときの、大泉洋の泣き顔がたまりません。

「殿に刃向かったのは生まれて初めてじゃ」という忠勝のセリフもまた、彼が助命嘆願に加わったことの重さを思わせます。とにかく、大泉洋と藤岡弘、の熱演が素晴らしい場面でした。

こうして上田城に戻ってきた信幸ですが、九度山流罪という結果を聞いた昌幸に「この役立たずが!」と罵られる始末。信幸の苦労を見ているだけに切ないところです。

続いてヒゲ誠、作兵衛、内記の今後を話し合い、別れとする一同。

昌幸「では、おのおの……。抜かりなく」

と、別れの言葉でなないところが昌幸らしい。

慶長5年12月13日、上田城明け渡し。信幸は9万5000石の大名となります。内訳は、もともと持っていた沼田2万7000石に昌幸の小県3万8000石を併せ、さらに3万石の加増を受けたもの。さらに信之に改名します。「読みは変わらん。わしの意地じゃ」。

一般的には、信幸が自らはばかって改名したとされています。また、この後も「信幸」と署名した例があるなど、信幸さんの本音はなかなか複雑だったようです。

昌幸一行は大坂へ行き、家康の前へ。家康は、「打ち首にすることもできた」と昌幸たちに語ります。

家康「戦には勝ったのに、なぜこのような目に遭わねばならぬのか、さぞ理不尽と思うておろう。その理不尽な思い、さらに膨らませてやる。わしはおぬしから、一切の兵と馬と武具と金と城と、そして今後戦に出る一切の機会を奪う。残りの人生を、高野山の麓の小さな村の中で過ごすのだ。1~2年で帰ってこられるなどとゆめゆめ思うでないぞ。10年になろうが20年になろうが、おぬしは死ぬまでそこにおるのだ。この生き地獄、たっぷりと味わうがよい」

家康にとっては、三方ヶ原以来の恨みを返したというところでしょう。憎々しげに語る家康がすごい。内野聖陽も負けてません。

大坂城で、信繁は片桐且元と遭遇。彼の案内でお寧と話していると、金吾が迷い込んできます。が、何かに怯えて逃亡。

且元「金吾様の裏切りがなければ石田治部は勝っておりました」

あの且元がこんな言い方をするあたり、よほど悔しかったのだろうという心情が伝わってきます。

金吾が歩いていると場面が暗転。現れたのは毛利勝永。続いて明石全登、宇喜多秀家。ちなみに、3人ともこの時点では存命なので亡霊ではありません。大谷吉継の祟りに怯えて狂死したという俗説もありますが、吉継ではなくあえて生存者を持ち出したあたりに、金吾の内面の負い目から生じた幻であることが強調されています。

で、男闘呼組の幻に追い回される金吾、ナレ死で出番終了。

且元は茶々のところにもやってきて、信繁との面会の是非を問います。が、茶々は「それには及ばぬ」と拒否。「もう会う折はないかと」と大蔵卿局に念を押されますが、

茶々「あの者とはいずれまた会う気がします」

とニッコリ。

真田屋敷に戻った信繁は春と再会。彼女から吉継の最後を聞きます。切腹シーンがあっただけ勝ち組といえましょう。

続いてきりに再会。信繁は、母を守ってくれた礼を述べ、これからどうするかと問います。「源次郎様はどうしてほしいんですか?」

信繁「母上のこともあるし、できれば一緒に来てもらえると心強いのだが」
きり「行くとしますか」

ほう、信繁もちょっとはきりのありがたみが分かってきましたか。

昌幸「薫は上田に返そうと思う。あれには九度山の暮らしは無理だ」
信繁「上田に帰っていいぞ」

きり、相変わらず扱いが気の毒なほど悪い……。

ちなみに、このとき信繁は数え34歳(満32、33歳)。きりとの年齢差は分かりませんが、どう考えても既に行き遅れ。きり自身が拒んだ面もあるでしょうが、真田の重臣の娘にしては縁談がなさ過ぎで不憫です。

夜、加藤清正が突然信繁の部屋にやってきます。お、これは三成の耳打ちの答え合わせか? と思ったら、三成の妻・うたを連れてきました。うたは三成の最後を語ります。柿を勧めてもらえなかったものの、斬首シーンがあったので三成も勝ち組。

清正が出てきたので思わせぶりでしたが、ここは三成の最後と関ヶ原によって壊されてしまった1人の女性の描写という以上の意味はなさそうです。無私の三成があの場面で清正に妻の世話程度のことを頼んだとも思えず、耳打ちの答え合わせはまだ先になりそうです。「秀頼公を頼む」と三成に言われて、次回の秀頼・家康会談時に秀頼の護衛をガンバリ過ぎちゃった、というあたりかなぁ。

関ヶ原で壊れてしまった女性がもう1人。うたた寝から目覚めた薫は、1人きりだと気付いて激しく動揺、半狂乱で屋敷をさまようことに。

慶長6年、九度山村の屋敷に到着。きり、結局付いてきたんだ……。そして、一行を背後から伺う一団の正体は?

ドラマでは最初から配流先は九度山となっていましたが、昌幸らは当初は高野山の蓮華定院に入っています(高野山は女人禁制のため、妻たちは麓の集落)。その後、九度山へ移ったという流れです。冗長になるのでドラマではこのくだりをはしょったのでしょう。

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