大河ドラマ「真田丸」 第24回 滅亡 感想

カテゴリ:真田丸
日時:2016/06/19 22:45

時に顔芸がオーバーアクト気味な高嶋政伸ですが、やはりいい役者さんだと思わされる第24回。他のおっさん軍団の芸も細かくて、小田原開城後は見応え十分。真田昌幸の野望全開から伊達政宗の餅つきに至る流れも笑えます。

ではドラマスタート。開城反対派に囲まれた真田信繁は、小山田ヒゲ誠の案内で蔵に身を隠します。ここでこの非常時にのんびりヒゲ誠の経緯トークを展開。

ヒゲ誠「長かった?」

うん。

そして松の生存を伝える間もなく北条氏政の下へ案内される信繁。案の定、捕まります。

氏政「北条がどれだけ真田に振り回されてきたか、知らぬ事はあるまい。ようぬけぬけとわしの前に姿を現せたな」

ですよねぇ。板部岡江雪斎は「しがらみのない者の言葉にこそ、人は心を動かす」などと言いますが、信繁はバリバリの当事者。大本は氏政が豊臣秀吉に臣従するか否かの問題だったとはいえ、小田原征伐の直接の原因は沼田問題。「真田のせいでこうなったんだ」と逆恨みされても仕方がありませんし、平常心で真田の言葉を聞けるとは思えません。

が、さすが俺たちの信繁様。氏政すら信繁のお言葉を聞く気になってしまいました。 関東の諸城が落ちたと知らされショックが隠せない氏政さん。

氏政「返す返すも心残りは、どうせ秀吉と一戦交えるなら、伊達や徳川と組んで、日の本を分ける大戦をやってみたかったわ。華々しく、戦国の世に幕を引きたかった」

次いで、秀吉が氏政、北条氏直を助命するつもりであると聞かされた氏政。

氏政「命など惜しゅうない」
信繁「いや、今こそ惜しまれませ。豊臣の家臣として、新しい道を生き直してくださりませ」

足が不自由な軍師殿も似たようなことを言ってたなぁ。とはいえ、この時点では降伏するという言質は取れなかった信繁。やはり真田の小せがれが氏政を説得という展開を自然だとは思わないけど、後半の覚悟完了した氏政さんに至る途中の「心を完全に折られる氏政」は必要なんですよね。個人的には、これは伊達が秀吉に下ったという知らせでよかったんじゃないかと思いますが。

信繁は、ヒゲ誠が待つ蔵に戻ります。信繁はいっそのこと、氏政に会えずヒゲ誠と会話しただけで帰還、ミッション失敗でもよかったような。

こうして、やっと松の生存をしらされるヒゲ誠。記憶喪失の件を言いかけたのか、またもヒゲ誠に寸止めプレイを強いる信繁。あのまま別れたらヒゲ誠がかわいそうだろ。

話をそらすため、箱を手にする信繁。中には鉛のインゴット。その鉛や箱に刻まれた刻印は……。と、新しいフラグを立てちゃう信繁。

天正18年(1590年)7月5日、剃髪した氏直が小田原城を出て降伏。

秀吉「氏政は死んでもらおうか」(あっさり)

徳川家康大谷吉継、信繁の反対もむなしく、氏政の切腹が決定。そして7月10日、もとどりを切った氏政が降伏。助命を約束する家康ですが、氏政はそれを謝絶します。

氏政「これ以上関わると貴殿に災難が降りかかる」

そこで家康は、上杉景勝、昌幸を引き連れて氏政の説得をリトライ。

家康の口上を受けて、景勝が発言。「わしももとどりを切る! 我ら一同、その覚悟で殿下に申し上げる所存」などと大見得を切っちゃうところは相変わらずです。直江兼続の心配通り。

が、昌幸は「えー、俺もかよ」って顔で笑えます。一方、景勝は「むしろあなたに伺いたい。秀吉のために生きるのでござるか? それでよろしいのか?」と氏政に問われ、「えーっ」って顔で答えに窮すありさま。

横目でチラチラと景勝を見て、「こりゃダメだ」と昌幸に目線で発言を促す家康。

昌幸「死にたければ死になされ。されど、生きておればまだまだ楽しいものが見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。もう一暴れ、したいとは思いませんか?」

昌幸さん、アグレッシブ過ぎです。

氏政「おぬしらの働きぶり、あの世でしかと見物させて頂こう」

昌幸の発言を聞いてちょっとニコっとするとか、このシーンはおっさん軍団の細かい芸が見所です。

翌11日。氏政、最後のシーンはやっぱり汁掛け。やっぱり高島弟はいい仕事するなぁ。たあし、私の中のベスト高島弟は『太平記』最終回(思い出すだけで涙腺が緩む)。今回も太平記には及ばないものの、いい氏政さんを見せていただきました。今後も大河に出ていただきたいものです。

信繁は、小田原城から持ち出した鉛を吉継に見せ、利休の刻印であると告げます。そこで小田原城の蔵に向かうも、中身は利休が持ち去った後。この全裸利休は仕事が早いな。石坂浩二の悟りきった利休、伊武雅刀の軍師みたいな利休、そして今回の何ともいえない卑しさがにじみ出ている利休。中の人によって随分と印象が変わるものです。

さらに翌7月12日。のぼうさまの城はまだ落ちず。6月12日に、「4日で落とせる」と言い放った石田三成は、何度も堤が壊されてブチ切れ中。見かねた昌幸が卑怯な手を使うと申し出ます。

氏政の兜を使って、「氏政は家来を見捨てて己が生き延びる道を選んだ」といううわさを流す流言策を提案。

7月14日、忍城開城。すると、昌幸の下へ三成がやってきて、「貴殿の策はやはり好かぬ」と言います。そう言いながら、「それがしに戦の何たるかをもっと教えて頂けぬか」と言えちゃうこの三成はすごい。三成といえば官僚的な能力は高いが狭量という描かれ方が多いのですが、この三成は考え方が柔軟で人から学ぶ度量がある。三成がこの調子だと、関ヶ原は三成のこうした美質を理解できない単細胞の加藤清正らが悪いという感じになってしまうのか。確かに、豊臣を2つに割って屋台骨をグラグラにしておきながら、家康・秀頼会見では秀頼を守ろうとするとか、中途半端なことするのが清正ですしね。

これにて小田原征伐は完了。秀吉は宇都宮城で「宇都宮仕置き」。伊達政宗は所領を全て秀吉に差し出すエクストリーム土下座中。

昌幸は山師的な気質がふつふつわいてきたのか、伊達、上杉、徳川と組んで秀吉に反旗を翻すことをもくろみ始めます。しかし、信幸は日の本が乱世に逆戻りすると反対。

昌幸「何が悪い。わしは伊達に賭ける!」(キリッ)

そして政宗主催でレッツパーリー。政宗自ら餅をつき、ずんだ餅づくり。秀吉も餅をつくと言い出すと大喜び。

政宗「これより関白殿下御自ら餅をおつきになられます。これぞ天下餅でございます!」

完全に太鼓持ちです。昌幸がっかり。が、所領安堵を秀吉に約束されてニコニコ。

宴の後、信繁は政宗と「偶然」出会います。さすが俺たちの信繁。これは、道化を演じていた政宗の本音を語らせるというパターンですね。

信繁は、氏政は伊達を待っていたと言って、政宗を暗に責めます。

政宗「生き残るためじゃ。わしだって、どうせ戦国の世に生まれたからには天下を賭けた大戦に臨み、何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい。おぬしだとてそう思うだろ?」
信繁「いえ」
政宗「思えよ」

政宗「もしわしが、もう20年早く生まれておれば、もしわしがもう少し京の近くで生まれておれば、大広間の主座に座っているのは秀吉ではなくわしであった!」

予想通り、道化の内に秘めた葛藤をさらけ出します。それはいいけど、秀吉の直臣にぶっちゃけすぎなのでは。

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