大河ドラマ「花燃ゆ」 最終回 いざ、鹿鳴館へ 感想

カテゴリ:花燃ゆ
日時:2015/12/13 23:18

ついに最終回。こんなものを50回も見た俺、スゲー。こんなシロモノを50回も平気で作り続けたNHKの狂気もスゲー。そして無内容で無価値な最終回にあらためて驚愕。この初志貫徹っぷりには頭が下がります。俺なら恥ずかしくて逃げ出してます。

鹿鳴館にやってきた横取モトピコと美和さま。しかし、招待状を忘れたのかなくしたのか、とにかく招待状がなくてまごつくイケてないモトピコ。こんなどうでもいいエピも、偉大なモトピコを顕彰するためです。

伊藤「あのお方は……」

初代内閣総理大臣になる伊藤博文をして「あのお方」と言わしめるモトピコです。ひたすら低姿勢で、モトピコをageるためにだけ出てきたという感じが哀れを誘います。 この時点で伊藤が爵位持ち(伯爵)ということは、華族令が施行された明治17年(1884年)以降。モトピコが県令を辞任するのもこの年なので、明治17年で決定。

毛利元徳夫人の安子さんは、嵯峨野侯爵夫人、池谷伯爵夫人、酒田伯爵夫人とのトークに退屈されておられます。

誰だコイツら

それぞれ、嵯峨公勝伯爵夫人、池田章政侯爵夫人、酒井のどっかの伯爵夫人かな。嵯峨公勝が侯爵に陞爵するのは明治21年で、明治17年の時点ではまだ伯爵です。酒井家は姫路藩庄内藩小浜藩の3家が伯爵になっているので、この中途半端な仮名では特定できず。なぜこの後に及んで捏造キャラ?

ここで美和さまが薄っぺらい演説を展開。これに浅薄な見識で反論するご夫人たち。これはヒドイ。美和さまの偉大さを示すため、ご夫人たちを低能のバカにしたというわけですか。ご夫人たちを仮名にするあたり、お粗末先生にもこの脚本が愚劣かつ低俗でみっともないという意識はあったようです。

美和さまの聞くに堪えない薄っぺらい教育論は続きます。それを聞いている津田梅子。え、津田梅子?

この薄っぺらい演説に、予想通り感心しちゃう華族のご夫人たち。短時間で洗脳されて、心を入れ替えちゃいます。こいつら相当頭悪いな。

そして、「あの」津田梅子も美和さまの高い見識に感動しちゃいます。津田塾の方々は怒っていいと思いますよ。

津田梅子、この時点では日本語が不自由で、美和さまの薄っぺらい演説を小耳に挟んだだけで理解できたとは思えないのですが……。本州の端っこの長州出身の美和さまごときが梅子と英語で話せたのかなー? 学問の重要性を説く割に、美和さまって孟子の一節を繰り返し口走る程度の教養しかないじゃん。

アメリカで高い教養と英語を身に付けた梅子と会話できるのは、やはりアメリカ帰りで本州の端っこの長州によって朝敵にされた会津出身の捨松(大山巌夫人)や八重、蛮族が跋扈するグンマー出身の新島襄くらいじゃないかな。

いや、美和さまは頑張ってると思いますよ、もちろん。本州のいちばーん端っこから、遠路はるばる日本の中心たる関東に「上って」きて。

一方、モトピコは鹿鳴館にいる方々に鉄道敷設の重要性を力説しますが、説得できません。相変わらず、無能な男です。

そこへ、美和さまに感化された薄っぺらい夫人たちが殺到し、鉄道敷設に協力するように夫に口添え。さすが美和さま! 前橋まで鉄道が通ったのは美和さまのおかげだったんですね!

この頭の悪い薄っぺらい茶番で鹿鳴館は終了。予想通りのくだらなさで安心しました。

県庁では、前橋までの鉄道敷設決定にエキサイト。まあ、これもとんでもない捏造ですが。熊谷から前橋まで鉄道が敷設され、旧前橋駅が開業したのは明治17年。そう、モトピコが鹿鳴館に行き、県令を辞任した年です。シムシティじゃあるまいし、敷設を決定しただけで線路がニョキニョキ延びるわけがありません。敷設はもっと前に決まっていて、既にガッツンガッツン工事中なのです。もちろん、美和さまごときが関わるような話ではありません。

美和さまのすばらしさをでっち上げるためだけに(ドラマの中だけに)存在する学び場。そこへ富岡製糸場の女工さんたちが、5時間以上も歩いてお別れにやってきます。内容はどうでもいいのでスルーします。

熊谷-前橋間の線路が(今ごろ)着工。そして、迎賓館も着工。前橋市民なら一応存在はしっている臨江閣ですな。

臨江閣


今年の夏に前橋に行ったときに撮った臨江閣。目的地は臨江閣なんぞじゃなくて、こことトンネルでつながっている遊園地「るなぱあく」ですが。幼稚園児にちょうどいいですよ。付き添いの大人は無料だし。

木馬


私が子どものころに乗った木馬(国の登録有形文化財だぜ!)にわが子が乗る日が来るとは、感慨深い。

ここで県令辞任を考えるモトピコ。どうぞご勝手に。

県令の進退をせいに漏えいする美和さま。で、グダグダ会話していたようですが、どうでもいいのでスルーします。

続いてモトピコと美和さまのツーショット。どうでもいいのでスルーします。スマホの『妖怪ウォッチぷにぷに』面白いですよ。暇つぶしにちょうどいいですね。退屈なときはこれに限ります。

臨江閣で送別会開催。グンマーの土人どもが入れ替わり立ち替わり、カルチャーを与えてくれたモトピコと美和さまを称賛します。どうでもいいのでスマホの『妖怪ウォッチぷにぷに』(以下略)

モトピコと美和さま、日本の中心たる関東のグンマーを脱出。本州のいちばーん端っこに「下り」ます。帰りは「汽車」だそうで。駅のホームは見送り人で溢れます。

で、ここはどこだ? 高崎駅?

旧前橋駅に線路が到達したのは明治17年8月20日。モトピコの次の県令・佐藤與三が就任したのは明治17年7月30日。モトピコ辞任時は、まだ前橋駅から汽車に乗るのは不可能です。まあ、捏造まみれのこのドラマで今さらって感じですが。

汽車が走り出してすぐ、川を越えているような背景が続きます。現前橋駅であればこれは利根川かな、と思うところですがモトピコ辞任時には完成していなかった旧前橋駅があったのは、利根川の西岸。利根川架橋はこの後のお話。旧前橋駅が完成していたとしても、汽車が利根川を越えることはありません。

で、何だか分かりませんが、美和さまがセット感丸出しの安っぽい道を歩む後ろ姿でこのヒドいドラマは終了。明けない夜はない。どんなヒドいドラマでも、必ず終わりがくるということです。実によかった。終わってくれて。

というわけで、今年も何とか感想を完走しました。ひたすら貶しているだけの駄文をお読みいただき、ありがとうございました。

一応恒例ですので、最後に全体を通した評価をするとしたら、

ゴミ

です。「駄作」だ「失敗作」だと、「作」を付ける気にもなりません。「作品」と呼べるものじゃありません。だから、ゴミ。大河ではなく、下水を流れる悪臭ぷんぷんの汚水。何の価値もない汚物

「ただのつまらないモブキャラから見た明治維新」だったら少しは面白かったかもしれませんし、そういうものを期待していました。が、ふたを開けてみたら「ただのつまらないモブキャラを偉人にでっち上げるだけの話」でした。ドラマだから面白ければ史実に忠実である必要はないというものの、ザコキャラを偉人化するために歴史を捏造する姿勢には嫌悪感しかありません。

しかし、「ザコキャラ」と呼んで彼らを貶めている私ですが、さらに彼らを貶めているのはNHKです。今年のゴミに一貫しているのは、NHKのこんな姿勢です。「楫取素彦と楫取美和、あなたたちの人生は面白くもなく、偉大でもない。主役には全然ふさわしくない。だから、われわれが主役になれるよう、功績を盛ってあげます。他の人の功績もあなたたちがやったことにしてあげます。それでも偉人としては物足りないので、他の偉人にあなたたちをとにかく称賛させます。これで、あなたたちのつまらない生涯でも何とかドラマになるでしょう」と。単に大河の主役になるほど華々しくないというだけで、一生懸命に生き、人生を全うした人たち相手に、何と傲慢なことか。史実の楫取素彦と楫取美和には何の罪もないというのに。

そして、不自然で説得力もなく、面白くもない捏造を繰り返したにもかかわらず、ドラマの楫取素彦と楫取美和は全く魅力的ではないという絶望感。志だの至誠だのと言いますが、コイツらの行動原理はただの「独善」。単に人の意見を聞かず、一方的に自分の要求を押し付けるだけ。人の意見を聞いて行動をあらためることもないので、この2人は第1回から全く成長しない。最初から、独善を貫く不快な人物として完成してしまっていた。

当初はゴミレベルの脚本と演出を押し付けられ、役者も気の毒だ被害者だと思っていましたが、魅力的な人物を演じることができなかったという意味で、やはり役者にも責任の一端を担っていただきましょう。不満はあろうと、彼ら彼女らはギャラももらっているわけですし。私なんか、ギャラをもらうどころが受信料を払っているのですから。ちゃんと受信料を払っていたら、NHKから汚物を投げつけられたわけです。何てこった。

脚本と演出がまた、どうしようもないくらい低レベルのゴミだったことも致命的。関係者には猛省を促したい。

そして、こうなった全責任は、希代の無能のカス、

土屋勝裕

コイツだ。土屋勝裕とかいうクズの名は、無能者として永遠に銘記されるべきでしょう。卑しいNHK職員の分際で、高貴なる視聴者さまの受信料でこんな汚物を作るとはなにごとか。民放なら、勝手にくだらない番組を作るがいい。ヘッタクソな日本語で変な歌を歌う外国人歌手まみれの歌番組でも、外国の気持ち悪いドラマばかり流すのもいいでしょう。フジテレビ民放にお金を払うわけでもなし、嫌なら見なければいいだけ。視聴率が悪くて赤字になろうが、私の知ったことではない。

が、NHKは受信料を取っているのです。ならば、視聴者さまの卑しい下僕として質の高い番組を提供する義務がある。この下水ドラマでは、卑しい下僕としての最低限の義務すら果たせなかったというわけです。

今さら土屋勝裕とかいう無能をはじめとする低レベルな連中相手に怒りはありません。怒りとは対等な相手に抱くもの。地を這うアリごときに足を噛まれたくらいで怒ったりはしないのです。

土屋勝裕とかいう無能のクズとその部下どもに対しては、ただ蔑むのみ。天は人の上に人を作らなかったが、人の下に土屋勝裕とかいう無能のクズたちを作った。『花燃ゆ』とかいう汚物を作った関係者として、永遠に蔑まれ、後ろ指を指され、嘲笑されるがいい。

本日この時点をもって、私は『花燃ゆ』とかいう汚物のことは忘れます。こんなものを記憶することすら汚らわしい。ただこんなみっともないものが存在したということを後世に残すため、ここに書き残しておきます。ま、私が死んだらこのサーバも消えちゃうわけですが。

さて、汚物のことは忘れて来年に目を向けましょう。何事も前向きでないと。

三谷で真田信繁か……。信繁って、史実に忠実に作ったら来年の11月ごろまで昌幸が主役になっちゃいませんかね? 信繁が活躍したのは大坂の陣で、活躍したと思ったら死んでしまう。まさに「セミの一生」。彼もまた、かなり「盛ら」ないと主役になり得ない、そしてかなり盛られて「幸村」というキャラができたわけで。しかも、最近つまらない三谷幸喜脚本。結構不安要素満載です。

信繁ageにこだわらないで真田のお話と割り切れば、素材としては相当優良なんですが。さてさて、どうなりますやら。

2015年 大河ドラマ「花燃ゆ」キャスト(配役)
大河ドラマ「花燃ゆ」 主要人物年齢年表(松下村塾+α)
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