私流、大河ドラマの楽しみ方?

カテゴリ:資料&ネタ
日時:2015/09/26 15:48

毎年、毎週、適当な駄文を垂れ流しておきながら今さらではありますが、ここで歴史ドラマ(特に大河ドラマ)に対する私の基本的なスタンスを明文化しておこうと思います。

史実改変について


誤解されているかもしれませんが、私は史実改変自体に文句はありません。大河とはいえしょせんは「ドラマ」。再現映像ではないのです。

ただし、無条件ではありません。
・史実よりも面白くすること
・リアリティ(説得力)があること
の2点を満たしていただきたい。私が文句を垂れるとしたら、このどちらか、ほとんどの場合は両方を満たしていないからです。大人でもギリだった(別ルートを行った穴山梅雪は死亡)伊賀越えに9歳の少女が同行?(江の大移動(神君伊賀越え-安土城-清洲城)は可能か?) バカじゃねーの? 史実と異なる展開にして、違和感なく面白い話を書くには相当の技量が必要です。そのような技量がない無能な脚本家は、つまらない話をでっち上げるくらいなら史実通りに書いてればいいのに、ってことです。

また、史実の感動的なエピソードは「それ以前のストーリー」が重要なので、エピ単位で主人公を絡ませても感動は生まれません。関ヶ原後、石田三成に陣羽織を掛けてやるのは、それまで三成を憎んでいた黒田長政だからこそ意味があるので、三成とほとんど絡まなかった山内一豊が掛けてもしかたがない。同様に、松寿丸(長政)を助けるのも、黒田官兵衛の無実を信じ、かつ余命が短いと悟っていた竹中半兵衛でなければならない(後に長政が半兵衛の兜・一ノ谷を受け継いだことも含めて)。「子どもを殺すのはかわいそう」程度の薄っぺらな理由で一豊に助けさせても感動できないのです。

史実について


一方で、「史実が存在すること」が歴史ドラマの面白さの1つだと思います。ドラマが史実を改変していてもいいのですが、それとは別に「史実はどうだったのか」を調べるのも面白いのではないでしょうか?

・「ドラマでは人物Aは場所Bで人物Cと会っていた」
・「史実では人物Aは場所Dにいたから人物Cとは会ってない」

は、私の中で両立するのです。駄文の中で、史実についてしばしば触れるのはこのためです。「史実と違うからダメだ」と文句を垂れているわけではありません。

そして、本当は「史実ではXXだったのに、ドラマではXXをXXにしていて面白かった」とコメントしたいのです。が、ほとんどの場合は史実よりつまらないんですね、これが。

今後も、「史実はどうだったのか」に言及するスタンスは変わりません。これをもって「史実厨」と呼ばれちゃうかもしれませんが、まぁそれならそれでいいや。

なお、原作アリの場合「原作改変」「原作ではどう書かれているか」は上記に準じます。
つづく……かもしれない。