大河ドラマ「八重の桜」 第48回 グッバイ、また会わん 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/12/01 22:24

タイトルは、新島襄の有名な臨終の言葉。ということでどんな回かは容易に想像がつくわけですが、オープニングでキャストに「川上操六」の名を見つけて吹っ飛んでしまいました。まさか『八重の桜』に川上が出てくるとは思いませんでした。『坂の上の雲』ですら、日清戦争直前に一瞬出てきただけだというのに。

しかしまぁ、我らがニイジマジョーとも今夜でお別れですか。グンマー出身なので、子供の頃から上毛カルタのせいおかげで彼の名前だけはよく知っていたのですが、あの頃は何をした人なのかさっぱりでした。「平和の使徒(つかい) 新島襄」ですからね。安中出身だったらまた違ったのかもしれませんが、私は前橋ですからねぇ。 まずはアバン。明治22年(1889年)10月、来島恒喜による、大隈重信爆弾テロから。右足切断についてセリフで語られていましたが、この右足は保存されていて、現在は樹脂加工された上でお寺に安置されているとか。当初は、アルコール漬けで大隈邸にあったとか。そんなもん、どうする気だったんだ……。

で、本編。残り回数もわずかとなり、旧会津藩の人々の顛末も唐突に盛り込み始めます。いきなりやってきた秋月もその1人。熊本の第五高等中学に赴任すると語らせるところがあざとい。秋月の晩年といえば、第五高等中学でラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の同僚であったことはあまりにも有名ですからね。

もう1人は、梶原平馬。彼はこの年の3月に根室で死亡していました。彼の後妻水野テイ(貞)は、後に私立小学校の校長になる人ですね。

ニイジマジョーは、我が出身地である前橋で倒れ、大磯で療養中。年明け(明治23年)に八重に届いたハガキには、「当方無事」の一言だけ。が、以前のハガキと比べて明らかに筆跡が弱まっていて、こりゃ感のいい人なら気付きます。こうして必死に病状を隠そうとするニイジマジョーですが、同志社臨時総長の覚馬があっさりゲロしてバレバレ。

ニイジマジョーは腹膜炎まで発症し、重体に。小崎の制止を振り切って、八重に知らせようとする蘇峰。そこで駆けつけてきた八重と鉢合わせ。蘇峰、ちょっとびっくり。

いや、蘇峰や小崎の立場だったら、腰を抜かすくらい驚くでしょ。

そして対面する2人。ノベライズに比べて、ドラマは会話がかなり削られています。興味のある方は、ノベライズもどうぞ。

ジョー「グッバイ、また会いましょう」

明治23年(1890年)1月23日午後、ニイジマジョー永眠。八重45歳。この後42年も生きるんですよね、この人。

抜け殻状態の八重に、久々の覚馬命令。日本赤十字の篤志看護婦人会で赤十字精神と看護法を学べ、と。

一方、大山巌と川上操六を使って国際情勢を解説。日清・日露戦争の気配をにおわせます。ジョー死亡後のこのエピは、「篤志看護婦としての八重」と密接に関わってきます。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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