大河ドラマ「八重の桜」 第41回 覚馬の娘 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/10/13 20:47

今回は、民権運動の高まりから国会開設という文脈の中で覚馬と槇村、覚馬とみねの決着が描かれました。部分的にいいシーンもあるものの、テーマが地味なだけに中だるみ感も強かったという印象。まぁ、この時代の一般人(若干「逸」般人)をメインにしたらこうなりますわな。

明治13年(1880年)春、戊辰戦争で軍事的な才能を開花させた板垣退助は、自由民権運動に入れ込み中。微妙に困ったおっさん的になってます。時代的には、既に『坂の上の雲』とカブりはじめ、秋山真之は松山でやんちゃしていたころ(真之が上京するのは3年後)。一方、天璋院(篤姫)はまだ存命という、微妙な時代です。

5月、地方増税という伊藤の意を受けた槇村が追徴課税を通達し、議員が激オコのころ、同志社女学校では「ワイフ仕入所」という落書きに八重、みね、初子、みや子らの女性陣も激オコぷんぷん丸。英語を使ってるあたりが同志社関係者の犯行を匂わせますが、あの連中ならカナではなくアルファベットを使いそうな気もします。

初子「結婚のケは汚れのケたい」
みね「え?」
初子「え?」 府議会を無視する槇村は、府会の会期終了を待って課税を強行。覚馬は新聞を使って世論に訴える戦術に切り替えます。やー、さすが民権運動の時代。

で、それを見た槇村が激オコ。今日はみんな怒ってます。槇村は密偵を放ち、それが山本家の門前でみね狼藉。

ノベライズだと、人の気配に気づいたみねが叫び、「山本家をうかがっていた男が振り向いた」という流れなのでみねの口を抑えこむのも自然です。が、ドラマでは男はみねの視界から消えており、みねの口を封じるよりそのままいったんその場を離れればよかっただけなのでは? という間抜けな演出。

みねの危機に覚馬渾身の一喝。そして、

覚馬「何かあったら、今みでえに大声出してオレを呼べ」

このときは、普通の会話だと思いましたよ。あの覚馬の体で大丈夫? 人を雇ったら? とは思いましたが。

槇村は、伊藤博文に呼び出されて上京。伊藤からやり方を批判され、元老院入りを示唆されます。いわゆる「位打ち」みたいなもんですな。清盛が名誉職化していた太政大臣にされてしまったようなもの。さすが西光

10月、槇村は追徴課税の通達を撤回、さらに追加徴税の議案を提出。これで議案執行権を持つ知事の思い通りに。この槇村に、双方辞任の痛み分けで決着をつけることを提案する覚馬。

明治14年(1881年)1月、演説会開催自由を置き土産に槇村辞任。高島兄弟は顔芸が達者だったなぁ。ちとオーバーアクトだけど。

5月、同志社演説会開催の準備の席で、時雄がみねにプロポーズ。普通に好意的な意見を述べる覚馬にキレるみね。今日はみんなよく怒るな。

みね「うちには久栄がいっから、もう私がいなくてもいいんだべ! おとっつぁまは、今度は私を放り出すのがし!」

反対されても悲しむなり怒るなりしそうだし、難しいお年ごろなのかしら。

演説会当日、覚馬に時雄と今治に行くと告げるみね。

覚馬「どこまでもついていけ。何があっても離れんじゃねえぞ。んだげんじょ、どうしても困ったらそん時は大声を出して呼べ。おとっつぁまが助けに行く」

ああ、陳腐だけどこういうのには弱い。このセリフには普通に共感できる。娘はいないけど。また、「何があっても離れんじゃねえぞ」には、心ならずもうらと別れてしまった自責が含まれているような気がします。

7月、酒乱黒田清隆をめぐる汚職問題に猪一郎激オコ。今日はみんな怒ってるな。

政府内でも、参議の大隈重信がプンプン丸。そこで伊藤と岩倉具視は大隈の排斥と民権はの抑えこみを画策。

10月12日、大隈が政府を追われ、同時に国会開設の勅諭が出されます。

これを受け、ニイジマジョーは大学開設プランを開陳。まぁ、がんばってください。これについては興味ないっす。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
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