大河ドラマ「八重の桜」 第36回 同志の誓い 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/09/08 21:15

明治8年(1875年)10月、八重とニイジマジョーの仲人を快く引き受けた槇村の指示により、八重女紅場解雇。

案の定、直談判に来た八重に、建前として自分は耶蘇にならんと宣言せよという槇村。

槇村「大事なんは心やろ? わしゃそこまで奪わん。外面だけ取り繕ってくれりゃたらええんじゃ」

個人的には、槇村のセリフに賛成なんですよねぇ。要は踏み絵と同じ構図ですが、外面を繕って信仰を守ればいいじゃん、と思っちゃうわけです。大事なのは心でしょ?と。そうは思えないのが信仰なのかもしれませんね。信仰を持たない私には分かりません。 ニイジマジョーの学校作ろうプロジェクは若干進展。京都の外国人居住許可もおり、仮校舎もゲット。というわけで、八重とデイヴィスを連れて下見にゴー!

お奉行もとい大垣屋の仲介でゲットした仮校舎は、旧高松保実邸。耶蘇アンチの町衆の投石でボッコボコです。さすがにヘコむデイヴィスですが、ジョーはポジティブシンキング。

ジョー「いや、十分です。いつく机が置けるでしょう。何人の生徒がここで学ぶことができるでしょう。幾人の生徒がここから巣立っていくでしょうか」

オダギリジョーの表情と相まって、このくだりは思っていたよりよかった。

ここで町衆が乱入し、跪いて共存を望むジョーに乱暴する勢い。そこへ、一行の様子を眺めていたお奉行もとい大垣屋が介入。ジョーらの覚悟を評価し、町衆に認めさせるお裁きで一件落着。

こうしたエピを経て、八重は生徒に何を語るのか。解雇されたのは史実なので、八重の選択自体は分かりきっているわけですが……。

で、ドラマではどう料理したかというと、既視感バリバリ。何だコレ?

自分の信念を語り、ロックアウトされつつ皆も自分を偽るなと説く。こういう場面って、いろんんなドラマ、アニメ、小説、漫画にありますね。で、1人の生徒が歌い出して、その他の生徒もそれに追従。何だか感動的な別れを演出。あー、こういうの、学園モノでよく見ますね。現代物だと、『仰げば尊し』とか。

八重ロックアウトの場面は陳腐すぎて見ていて恥ずかしかった。

場面は薩摩の私学校へ。西南戦争は西郷と桐野(中村半次郎として登場済み)くらいでやるのかと思ったら、別府と篠原もキャスティング。予想以上に西南戦争もちゃんとやる? といっても、薩摩側の場面は単にグダグダと言い争いが続くだけのような気が……。

西郷を訪ねた大山巌、「おいも兄さぁのおそばに置いてたもんせ」などと口走ります。あんた、どっちかというと西郷に批判的だったはずでは。というか、あんたは薩摩側として駆除されちゃ困るんですが。

西郷「そんたぁならん。おはんには国んため、こいからやらんなならん役目がまだある」

そうそう、満州軍総司令官とか。西南戦争で犬死にしてもらっては困ります。

明治8年11月29日、同志社英学校開校。おめでとー。

さあ、授業スタート。ニイジマジョーが英語で聖書を読み始めると、槇村乱入。

早っ!!!

教室の外で聞き耳を立てていたんだろうか。というか、ジョーの英語を聞いただけで聖書の一節だとよく分かったなぁ。

ジョー「今は英語の読み書きを勉強しているのです。聖書はその教材にすぎません」
槇村「なんじゃと? 屁理屈じゃ」
八重「いいえ、建前です。建前が大事だといったのは槇村さんでねえですか」

相手のセリフを逆手に取って逆転した痛快な場面、というところかな。ジョーが語った(覚馬が考えた)ロジックは予想がついたので、ちと物足りませんでしたが。

夜、ハーディ夫人宛てのメールをライティング。あの有名なくだりをどうするのか……綾瀬はるかを「美しくない」と評するのか。

結果。「彼女は決して美しくはありません」のくだりはスルーして、「生き方がハンサム」だけ残しました。まぁこんなもんか。

明治9年(1876年)1月3日、八重とニイジマジョー、ケコーン。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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