大河ドラマ「八重の桜」 第29回 鶴ヶ城開城 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/07/21 21:32

明治元年(1868年)9月15日、総攻撃2日目。既に降伏した米沢藩から、会津に降伏を勧めるメール。以前の官兵衛と同じく、冬までの抗戦を主張する大蔵ですが、冬までもたないという意見に苛立ちます。結果論ながら、鶴ヶ城開城の数日後に初雪が降っており、会津と新政府軍双方にとって際どいタイミングでした。

席を立った大蔵、八重がもたらした凶報に驚き登勢の下に向かいますが……登勢は既に死亡しています。ドラマでは大蔵到着の直前のような感じでしたが、実際には大蔵が到着したのは登勢が息を引き取ってから2、3時間後だったようです。

登勢と一緒に怪我をした咲(後の捨松)によると、山川家の女性たちはもしものときは介錯しようと約束していたそうです。登勢も艶に介錯を願ったのですが艶は介錯できず、登勢は苦しみながら死んだそうな……。介錯してやれよ! という気もしますが、自分が艶の立場だったらとどめを刺してやれたかどうか。 そこにやってきた健次郎くん。「敗走してきた」という報告に激高した大蔵に「腹を切れ!」と詰め寄られますが、いや、さすがにそれは……八つ当たりだよね、大蔵。

こんな修羅場を電信柱柱の陰で見守るねえちゃん容保。

さすがに山川家の一件が原因というわけではないでしょうが、ついに心が折れた容保さん、秋月を降伏の密使として送り出します。

9月17日、一ノ堰の戦闘の日です。食料調達のため、決死隊として城外に出ていた権八が被弾。米を運び入れるも死亡。権八死亡シーンを泣き所にしてくるのかなと思っていたのですが(で、まんまと泣かされるのかなと思っていたのですが)、割とあっさりした演出で終了。意外に印象に残らないシーンになってしまいました。

9月20日、秋月の降伏嘆願が受諾され、秋月が帰城。その前、土佐藩陣屋で土佐兵にボコられる秋月。遅れてきた退助は、秋月の様子から何があったのかは分かったはず。土佐兵を叱責するかと思ったのですが、そんなことはありませんでしたねぇ。

9月21日、城内の者に降伏の内容が伝えられます。藩士たちの前に現れた容保は頭を下げ、「この一命をもって会津を、皆の行く末を守る。何があっても生き延びよ」と語ります。大蔵ほか、沈痛な表情で何となく容保の言葉を受け入れちゃう雰囲気ですが……。

ドキッ! 男だらけの藩士ミーティングの中になぜか混じっている八重。『江』の悪夢を思い出してしまいました。しかも、発言しちゃうし。

八重「恐れながら、お殿さまは間違っておいでです」

ギョっとする尚之助その他。

「何があっても、お殿さまには生きていただかねばなりません」

9月22日、降伏の旗が掲げられ、裃姿の容保らが降伏式へ。公式ドラマ・ストーリーには降伏式の描写が少しあるのですが、ドラマでは容保らが板垣らの前で平伏するシーンのみ。ここはもう少しやってほしかったな。

9月23日、最後の誇りとして城を掃除する二葉たち。土足で入ってきた板垣は、途中で廊下が清められていること、振り返って土足でそれを汚した自分たちに気付きます。この一連のエピは好きだなぁ。

城の一室には、猪苗代に送られる藩士が集合。八重もまた、山本三郎として猪苗代の謹慎地に向かう意思を示し、佐川らもそれを咎めませんでした。が、八重を守るため、「女だ! 女が紛れ込んでるぞ!」と叫ぶ尚之助。そしてつまみ出される八重。

八重が男として猪苗代に行こうとして、女だとバレて猪苗代に送られなかったのは史実。これに尚之助との別れを織り込んだというところでしょうか。ただ、これだけでは離縁というわけではないので、八重と尚之助との離縁をどう描くのか? 尚之助の研究が進み斗南藩での顛末から死まで、謎がかなり解明されましたが八重との離縁の理由やいきさつについては不明瞭なまま。ドラマではどう決着を付けるのか楽しみです。

しかしまぁ、ボコボコの鶴ヶ城天守はこれだけで泣けるな……。

次回は、処刑される萱野。

萱野「さらばだ」

か。さすがに、「あばよ!」はないよな、やっぱ。本来ならここも泣かせどころ何ですが、萱野の出番が少なくてこの悲劇性が弱いのが実に残念。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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