大河ドラマ「八重の桜」 第11回 守護職を討て! 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/03/17 21:07

今回のテーマは、禁門の変(蛤御門の変)に向けて緊迫する長州周辺と、イマイチ目立っていなかった三郎のキャラ立ち。工藤ジュニアということで色眼鏡で見ていましたが、若者役を好演。文句なしです。

前回、佐川が別働隊を編成することになり、それに志願を希望する三郎。が、権八に歳を理由に反対されます。「日新館の仲間も志願している」という反論に、「お母さんが叱るときの口癖」第1位(トリビアの泉調べ)で却下する権八はオカンか。

一方の京では、歴史イベントが発生。元治元年(1864年)7月11日、白馬の象山が「皇国忠義士」を称する連中に切られます。象山暗殺犯といえば、「人斬り彦斎」河上彦斎。彼は「人斬り抜刀斎」緋村剣心のモデルとしても有名ですね。ドラマでは、河上彦斎はキャスティングされておらず、無名の暗殺者集団という扱いで終わってしまいましたが。 場面は再び会津へ。八重は川崎先生と銃の改良を進めるとともに、時尾に代わってお針スクールのコーチに就任。目が弱くなった澄江に代わって時尾メールを読んだりしています。

佐川隊に勝手に志願したものの、選抜試験的な槍の腕試しで佐川にボコられ、志願を知った権八には叱責される三郎。川崎先生に初めて本音を吐露します。ここで、三郎が単に手柄を立てたいのではなく、新式銃を上に願い出るためであったことが分かります。今回の件に限らず、川崎先生をうまく活用した脚本ですね。ちと便利に使いすぎるきらいはありますが。

翌朝、山本家を訪問する佐川。

佐川「武士としての覚悟は、年長の者にも勝っていた。あと幾つか年嵩であれば、わしの方から願ってでも連れて行くところだ」

上洛を願って却下されたり頼母の従者に手裏剣で打ち落とされたり、上洛藩士をしょんぼり見送ったりと、このところイマイチいいところのなかった佐川ですが、ようやくかっこいいシーンが。よかったね。

三郎が佐川&権八に認められ、ハートフルな雰囲気の会津(の山本家周辺)に対し、ギスギスしっぱなしの京。石清水八幡宮には長州藩士が集結し、何か始まる一歩手前の雰囲気です。町人姿で偵察する覚馬、平馬、大蔵ですが、やはり町人髷は違和感あり。

本殿では、真木、久坂、来島らが戦勝祈願。さすが加藤保憲、祝詞を上げる声が様になってます。あのまま平将門が復活しそうな勢い

長州の動きへの対処を迫られた会津陣営ですが、二心殿を動かすのは容易ではありません。

慶喜「会津と薩摩が手を組んで長州を追い落としたのも、果たしてご叡慮に沿うことであったのか……」

とまで言い出す始末。さすが俺たちの慶喜。胸が熱くなるな。

もはや暴発寸前の会津陣営ですが、あの二心殿慶喜が参内したことでいったん沈静化。

孝明天皇「長州の軍勢、速やかに掃討せよ」

7月18日、長州討伐の勅が下り、再び事態が加速することになります。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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