大河ドラマ「八重の桜」 第5回 松陰の遺言 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/02/03 21:29

今回は、松陰刑死と桜田門外の変という幕末大イベント開催。覚馬、尚之助と松陰、勝海舟の個人的なつながりを通して会津にいる八重にも影響を与えるなど、なかなか巧みな構成です。イベントもポイントを押さえてます。

話は安政6年(1859年)7月、横浜を訪れた尚之助と勝麟太郎のシーンから。横浜が開港したのは、日米修好通商条約後の6月5日なので、まさに

勝「異国人は利に賢い。開港して1月やそこらで、もうこの繁盛ぶりだ」

という状況です。ここで、開国早々おそロシヤ人らが普通に歩いている時代になったこと、攘夷浪士による異国人襲撃が横行していることを尚之助の目を通して描いています。川崎先生をうまく活用してますね。

で、中央政局とは縁遠い会津の山本家にも、事件発生。 作物に話しかけるうらに、心を開きつつある八重。さらにうらの懐妊をしらされ、山本家は一気にウキウキモードに。そこに戻ってきた川崎先生、横浜土産で山本家はさらにウキウキモード。そして、山本家はコウモリ傘&ビー玉という重要アイテムをゲットします。

そして、川崎先生から吉田松陰の件が語られます。詮議するは、江戸北町奉行井戸対馬守。吉田松陰は、伝えられている通り自ら老中間部詮勝の襲撃計画を申し述べます。

ここで、覚馬に懐妊を伝えようとしていいそびれるハセキョーはよかった。演技力のなさに定評のある彼女ですが、会津弁のためかあまり気になりません。会津の人は気になるのでしょうが。

懐妊判明&川崎先生帰還という絶好のタイミング(笑)でやってくる、蘭学指南希望者を装った刺客たち。コウモリ傘パス&ビー玉で覚馬を援護する八重。何というタイミングのよさ。が、刺客に突き飛ばされたうらは流産。

流産を佐久にわびるうらは、「不憫だ……」。

佐久「ありがてえなし。うらのおかげで覚馬は命拾いした。ありがてえなし」

10月27日、松陰に裁きが下り、同日斬首が執行されます。

安政7年(1860年)1月。勝は通商条約批准書を交わす使節団の随員として咸臨丸で渡米。吉田松陰が密航してまでやろうとした渡航を実現しちゃいます。

その勝から、覚馬に松陰の最後を伝えるメール。門弟向け遺言(家族向けは別)である「留魂録」の冒頭に記された辞世が添付。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

春。八重らは彼岸獅子見物に繰り出します。そこで2組の彼岸獅子が鉢合わせ。

小松獅子 vs. 天寧獅子、レディーゴー

というタイミングで迷い込む幼児。喧嘩の中に飛び込んで子供を庇う八重と、男たちの間に入って両者を一喝する大蔵。やー、彼岸獅子といえば大蔵ですなぁ。

3月3日、大名総登城の日。というか桜田門外の変の日。ひこにゃん直弼が討たれてしまう日。直弼は武芸を一通り修め、居合いでは新心新流という新流派を自ら開いちゃうほどの達人なわけですが、最初に短銃弾を腰に受けたことで抵抗もできず、駕籠の中で動けないままさらに刺されたとされています。ドラマでもこの流れをちゃんと再現していました。

しかし、榎木孝明ともこれでお別れですか。榎木孝明は『太平記』の日野俊基、『毛利元就』の渡辺勝、『功名が辻』の浅井長政など、序盤に退場しちゃうイメージがあります。『独眼竜政宗』では大野治長なので、厳密には「序盤だけ」ってことはないのですが。こういう役者さんには長くドラマを締める役もやってほしいなぁ。

江戸城では有力親藩&譜代が対水戸ミーティング。司会は老中安藤信正(クレジットは「安藤対馬守」)。オープニングのクレジットには出てきませんでしたが、字幕を出していたら「久世」のセリフがありました。これは桜田門外の変後に安藤信正の推挙で老中になった久世広周のことでしょう。

水戸討伐に決まりかけたミーティングは、容保の反論で一変。

次回、容保はこの発言により家茂に呼び出しをくらいます。


2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
も第5回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。