大河ドラマ「平清盛」 第30回 平家納経 感想

カテゴリ:平清盛
日時:2012/07/29 22:38

応保元年(1161年)9月、うどん県。崇徳院のポエムコーナー。

いつしかと 萩の葉むけの片よりに そそや秋とぞ 風もきこゆる

崇徳院「ここへ流されてよかった」

と、すっかり毒気も抜けて穏やかな顔の崇徳院。この後の変貌っぷりが楽しみです。

一方、都ではドン・キホーテコンビに憲仁親王(後の高倉天皇)が誕生。祝いの献上品の到着が遅れ、キレる清盛。キレ返す兎丸。

兎丸「文句あんのやったら、博多を都の隣に持ってこい!」

このタイラー&バニーのやりとり、伏線としては分かりやすすぎです。 庭では、基盛が清五郎(重衡)に弓の稽古。そういえば、いつの間に元服したのやら、前回から四盛が「知盛」と呼ばれてました。保元4年(1159年)には蔵人になり叙爵しているので、そのタイミングかな。重盛、基盛、ムネムネは一応元服シーンがあったのに。

そこに現れる時忠

時忠「よいことを思いついたのじゃ」

絶対ろくでもないことに違いありません。と思ったら、

教盛「そなたのよいことは、ろくなことではない」

と、視聴者代表のようなツッコミ。今回はこんなセリフが多数登場します。

案の定、「憲仁親王を東宮にしちゃおうぜ」と、ろくでもないアイデアを開陳する時忠。もちろん速効で二条帝に露見。二条帝のシーンは、ドラマでは清盛の詫びで終わっていましたが、ノベライズでは二条帝のセリフが入ります。
そなたが滋子を上皇の妃としたとき、朕は裏切られた思いがした
あー、結構根に持ってますね。

で、時忠、基盛、教盛の3人は解官を清盛に言い渡されます。実際、この3人は応保元年(1161年)9月15日に憲仁親王擁立の疑いで解官されているので史実通りですね。

応保2年(1162年)1月。

浜千鳥 跡は都へかよへども 身は松山に 音をのぞみなく

の崇徳ポエムとともに、崇徳写経(五部大乗経)が完成。血で書いたという説もありますが、ドラマでは墨説を採用。順当なところでしょう。血だと、後白河の「キモ!」って反応も普通すぎて、崇徳院に同情しづらくなってしまいます。

というわけで、五部大乗経が後白河上皇の下へ到着。

後白河「あれほど朕を恨みながら流された者が悔い改めると? にわかには信じ難い。あるいは、何かの呪詛ではないか」

まぁ、崇徳さんはポエムで「あなにくし」なんてやらかしちゃってますしね。

後白河「気味が悪い。送り返すがよい」

憲仁ちゃんに破かれちゃってるし(ノベライズでは、後白河は「おお、憲仁、力が強いのう」なんて喜んじゃってるし)。

五部大乗経が崇徳院の下にリジェクトされてきたのが2月。憲仁ちゃんに破かれちゃってるし、心が折れるのも無理はありません。

ノベライズでは、この後崇徳院の不幸な回想シーンが延々とくどくどと3ページ以上にわたって書かれています。文章だとこれでもいいのですが、ドラマでこれを映像化したら、今回は崇徳シーン総集編で終わってしまったことでしょう。バッサリカットしたのは正解だと思います。

それはともかく、写経リジェクト&重仁親王の死で切れてしまった崇徳院。ついに怨霊化(死んでないけど)発動です。

崇徳院「日本国の大魔王となり、皇を民に引き下ろし、民をば皇になし上げん

という有名な呪詛のセリフも再現。『保元物語』にほぼ忠実な展開なので、このあたりまでは怨霊崇徳に期待していた人も満足だったのではないでしょうか。

3月。紫宸殿の造営を行っていた基盛が急死。病死と考えられていますが、ドラマでは水死。「川を渡ろうとして溺れる」(忠清)、「基盛殿が宇治川を渡っておったであろう刻限」(西行)といったセリフから、宇治川渡河中に溺死したという『源平盛衰記』ベースの話であることが分かります。ただし、『源平盛衰記』の場合はホモ悪左府頼長の怨霊のしわざとされています。ドラマでは、西行が「うどん県の方から現れた」と言って崇徳院のしわざにしていましたが。

2月にキレて、基盛を呪い殺したのが3月。崇徳院の怨念はちと移動速度が遅いようです。五部大乗経ですら、完成してから後白河院の御所に到着するまで、ノベライズだと「数日」なのですが……。

ある日、六波羅にやってくる忠通基実親子。忠通さんが清盛に頭を下げて、基実を娘婿にしてくれと懇願するという、「ええっ?」な内容です。基実の妻が清盛の娘盛子なのは史実ですが。

ちなみに、忠通が清盛に差し出し、ドラマで「摂関家歴代の故事、儀式や衣食住に関する作法が書かれておる」としか説明されなかった書物は『富家語(ふけご)』といって、忠通の父忠実の語録。ノベライズには、「去年、逝去した父忠実が、かの保元の戦ののち、知足院にて語り、書き取らせたもの」(忠通)という、富家語に関する実に整理された説明セリフがあります。ただ、編集の都合なのか、忠通、基実親子の訪問のタイミングがドラマとノベライズでは異なっています。ドラマでは、基盛が死んだ応保2年3月と、時忠が出雲に流される6月の間。ノベライズは、長寛元年(1163年)の秋。そのため、「去年、逝去した父忠実」の部分が邪魔になったのかもしれません。

忠通「こうして藤原摂関家を守ることが、私の誇りじゃ」

と語る忠通さんはかっこいい。ノベライズには、この後清盛が「摂関家をお支えできるほどに、平家をさらに繁栄させてみせましょう」と語り、忠通さんが「ありがたし。楽しみじゃ」と「微笑んだ」とあります。
(ナレ朝)このわずか半年(ドラマでは1年)のちの長寛2年(1164年)2月19日、(中略)忠通様は世を去った
これで忠通さんも退場か……。さみしくなります。

そして、清盛による唐突な平家納経宣言。まさかうどん院の怨霊鎮護が目的などと言い出すのではと心配していたのですが、「一門の繁栄を祈願するため」というセリフに一安心。この清盛は何を言い出すか分かりませんからね。

写経シーンは、キャラ立ちしてた点と製作過程が楽しめました。

が、時忠は二条帝呪詛疑惑で検非違使に引っ張られ、出雲流罪決定。この後の編集は非常に下手くそ。突然、清盛らが福原に瞬間移動。何が起きたのかと混乱します。一応、見ていれば出雲に流される時忠につきあって福原までは来た、ということは分かりますが。しかもノベライズと比較するとカットされまくり。いっそ時忠見送りシーンそのものをカットしてしまえばすっきりするものの、

清盛「ここはどのあたりじゃ」
盛国「福原にござります。(中略)私が幼い頃に暮らした大輪田の海です」

の部分をカットするわけにはいかなかったということでしょう。

時忠担当分がどうなったのか気になりますが、取りあえず長寛2年(1164年)の夏に教典三十三巻が完成。厳島出発は8月25日です。

平家一門の面々はともかく、えっ、西行?

兎丸「何でお前が乗っとんねん!

バニー、代弁ありがとう。

怨霊怨霊と言ってしまいますが、まだ死んでいないうどん院の凄惨な呪詛シーン挿入。と思ったら、嵐!

兎丸「何でいきなり嵐になんねん!

バニー、代弁ありがとう。

いつまでたっても髭が似合わない頼盛、ビビって教典のパージを提案。んー、海に投じるなら宝剣とかがいいのでは。例えば清盛のエクスカリバーとか。

で、取りあえずバニーやスズキ丸の活躍で嵐を乗り切った? という展開。結局西行が「何でお前が乗っとんねん!」な感じ。加えて、崇徳院が最後なぜ浄化されたのかも意味不明でしたが、これは完全に演出が悪い。ノベライズを読んで、やっと意味が分かりました。

ノベライズでは、怨念を吐く崇徳院の耳に、「身を捨つる 人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」という西行の声がこだまします。西行が出家したときの心を悟った崇徳院を朝日が照らし、
清々しい朝の光が、西行の歌とともに、崇徳院の心を照らした。出家して初めて、崇徳院がほんとうに救われた瞬間だった
とあり、西行という要素が不可欠だったことが分かります。ドラマでは無意味でしたが。
崇徳院は、その光に溶けるように、息絶えた
合掌。

そして平家納経。「博多を都の隣に持ってこい!」「私が幼い頃に暮らした大輪田の海です」

ピーン

清盛が福原遷都を思いついちゃいました。

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第30回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。