NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 最終回 日本海海戦

カテゴリ:坂の上の雲
日時:2011/12/25 23:47

ついに終わってしまいました。この数年間のワクワク感がこれで終わってしまったかと思うと、寂しさで胸がいっぱいになります。制作発表に驚喜し、脚本家の自殺そのほかによる中断に落胆し、再度の制作発表に安堵した日々。3年前、第1回の冒頭、渡辺謙のナレーション「まことに小さな国が……」を聞いただけで涙があふれたのがついこの間だったような、大昔のことのような。

制作発表から完結まで随分と待たされましたが、リアルタイムでこの高揚感を味わえたのは幸せだったと言えるでしょう。こんな経験はもうできないかもしれないのですから。

さて、ドラマはもちろん前回の東郷ターン開始直後からスタート。そして、回頭を終えた三笠から順次砲撃が開始されます。三笠が砲撃を開始した瞬間は鳥肌が立ちました。

ただ、尺が足りなかったのか色々とはしょることになってしまいました。 最初の砲撃は命中弾ではありませんが、日本軍の砲弾は海面で激しく火柱を上げてロシア軍を驚愕させます。

日本海海戦の勝因の1つである、下瀬火薬を示していることは明らかです。が、下瀬火薬についてはナレーションそのほかの説明一切なし。ピクリン酸云々はともかく、「激しく燃焼する日本独自の火薬」程度の説明はあってもよかったのでは。なので、もちろん伊集院信管もスルー。まぁ、この程度は仕方がないでしょう。

連合艦隊にフルボッコされたクニャージ・スォロフは損傷甚だしく、負傷したロジェストウェンスキーはネボガドフに指揮権を委譲します。一方、三笠ほかも無傷ではなく、東郷らが負傷兵を訪ねた際には

軍医(軍医総監・鈴木?):「だいぶ怪我人ができました」
東郷:「もっと出来るつもりじゃった」

というやりとりが交わされます。艦隊の半分が沈んでもバルチック艦隊を全滅させねばならないという覚悟がにじむ重いセリフです。

海軍省には勝報が伝わり、ようやく元連合艦隊司令長官にして軍令部長の伊東祐亨がまともに映りました。これまでは、御前会議や海軍首脳拝謁時にちらっと映っているだけでスーパーすら入らない扱いでしたからねぇ。

ここまでの描写から、海戦初日の主力艦による砲戦は終了したと見ていいでしょう。って、おい。「東郷平八郎判断ミス」という大事なエピが抜けています。

開戦初日の14:50、旗艦スォロフは舵が破壊され、操舵不能になり回頭を始めます。東郷直卒の第一艦隊はこれに反応して追撃を開始してしまうのです。しかしバルチック艦隊は戦艦アレクサンドル3世がスォロフに続かなかったため、スォロフ以外は別方向に進み続けることになります。結果論ですが、第一艦隊は明後日の方向に行ってしまったわけです。

これを救ったのが、第二艦隊参謀の佐藤鉄太郎。なかなか現れないバルチック艦隊に混乱して連合艦隊を津軽海峡方面に動かそうとした秋山真之に対して、一貫して対馬海峡説を唱え続けた人物です。こうして第二艦隊司令長官 上村彦之丞(ついに登場せず)は独断で第一艦隊から離れてバルチック艦隊を追撃。間違いに気付いて戻ってきた第一艦隊と共にバルチック艦隊を挟撃する体制に持ち込みます。

佐藤鉄太郎の判断と、それを容れた上村彦之丞がいなければ、バルチック艦隊に逃げられていたかもしれません。日本海海戦自体は勝利ということになるでしょうが、ウラジオストックに逃げ込んだバルチック艦隊によって海上輸送を阻まれ、講和にも大きく影響したことでしょう。一連のエピソードがカットされたため、東郷平八郎は無謬の人のようになってしまいました。代わりに、「海戦の後に東郷が立ち去ると彼の足跡だけ乾いていた」といったヨタ話もありませんでしたが。

夜間戦闘では駆逐艦らによってバルチック艦隊はさらに追い込まれます。前回、その凄まじい棒演技が絶賛された赤井英和こと鈴木貫太郎指揮下の第4駆逐隊も戦艦ナヴァリン撃沈、戦艦シソイ・ヴェリーキー大破といった戦果を挙げています。

残るはネボガドフ艦隊。が、ネボガドフに戦意はなく、降伏します。ただし、降伏の条件として戦時国際法で定められている機関停止を怠っていたため、東郷は砲撃を継続。

「武士の情けです」と砲撃中止を進言する真之に対し、東郷は敵艦隊が機関を停止していないことを冷静に指摘します。東郷が国際法に通じていることは、第3回第4回の高陞号撃沈事件などでも描写されていましたね。

ネボガドフ艦隊の機関停止を受け、連合艦隊に発砲停止命令が下されます。発砲停止が意味するところは、海戦の終了。発砲停止命令に喜び合う兵たちがよかったですね。

戦闘旗も下ろされ、日本海海戦が終わりました……。

転じて、東京・根岸の正岡子規家。子規のママンの八重さんはいつまでも若いですね。真之ママの貞さんはシワシワのお婆ちゃんになってしまったというのに。

高浜虚子ら子規の門下生&夏目漱石&のシーンはやや冗長のような気もしますが、不満というほどではありません。みんなが居る部屋の向こうに子規が座っている演出は泣きそうになりました。

また、ここでは漱石の口から「文士など何もできない。軍人に守ってもらうしかない」という、戦時におけるまともなセリフが出てきたことは評価したいものです。軍人を賛美する必要はありませんが、命を賭けて戦っている人々には相応の敬意が払われるべきでしょう。愚かな脚本家だったら、漱石あたりに「海軍なんて戦争なんて愚かなことをやっている連中だ」程度のことは言わせちゃいそうですしね。

日本海海戦は終わっても、依然として日露戦争は継続中。好古は満州で貞さんの訃報を受け取ります。

好古「淳はまにおうたかのう」

残念ながら、真之も間に合いませんでした。帰宅した真之を待っていたのは母の遺体。真之が死に化粧を始めたらどうしようかと思いました。

貞「淳が帰ってくるまでウチは死なん。待っていてやるのが母の努め」

という貞の言葉を伝える多美さん。泣けます。

真之「ワシは世の中のお役に少しは立てたんじゃろか」

原作を読んだ人は、真之は凄いと思うかもしれません。ドラマしか見ていないと、取り乱して衆人環視下であぶない刑事にドツかれたり、変な踊りを踊るだけの人に見えてしまったかも。

ルーズベルトの講和斡旋が始まり、ポーツマス会議に望む小村寿太郎。元老らに激励を受ける小村ですが、恐らくこの時点で彼にはこの講和の落としどころが見えていたでしょう。伊藤博文のこのセリフは泣かせます。

伊藤「君が帰朝の折りは、例え誰一人出迎えるものなくとも、予だけは必ず小村君を迎えるであろう

彼らの予想通り、賠償金が取れなかったことに激怒した人々は暴徒となり、有名な日比谷焼討事件に発展します。この情勢下で帰国する小村。力なく頭をたれる小村に、握手を求める伊藤博文が泣かせます。

日本海海戦における戦闘旗下ろし、日露講和条約と並ぶ戦争の区切りが、日本海軍艦隊の戦時編制である連合艦隊の解散。あらためてさまざまな風景をバックに読み上げられると、「連合艦隊解散の辞」も泣けます。

実質的な最終エピソードは、ドラマオリジナルの秋山兄弟ツーショットフィッシング。

好古「何十年ぶりかのう。お前とこうして釣りをするのは」
真之「いや、兄さんと釣りをしたことなぞ一度もないぞね」

好古……。

好古「この先一体どうなるじゃろうな。お前にも分からんか」
真之「急がねば、一雨来るやもしれんぞね」

この「一雨」は、恐らく日露戦争後の日本の暗示でしょう。

この後は、原作のラストシーンをナレーションベースで描写。まずは真之の死が語られ、続いて長生した好古の最後へ。阿部寛の老けメイクに目を奪われがちですが、少しだけ原作にセリフが追加されています。好古の最後の言葉は司馬遼の創作で、実際は異なっていたそうですが。原作は、

(略)やがて、~
「奉天へ。--」~
 と、うめくように叫び、昭和五年十一月四日午後七時十分に没した。~
(坂の上の雲 おわり)


で締めくくられています。ドラマは、好古の「奉天へ」に続いて、多美さんが

「あなた、馬から落ちてはいけませんよ」

と好古の耳元でささやくのです。

私の勝手な想像ですが、好古は戦争も軍人も好きではなかったのではないでしょうか。ただ福沢諭吉を尊敬し、勉強したかっただけなのに、時代がそれを許さなかった。だから彼は子どもたちを軍人にせず、慶應義塾に入れています。その彼が死の直前まで戦争に苦しめられるのは哀れに感じていました。それが、妻の言葉に少しでも慰められて逝けたとしたらと思うと、物語のラストとしてちょっと救われた感じがします。泣けました。

3年間を振り返ってみると、やはり「坂の上の雲」を映像化するには尺が足りなかった、という思いがあります。カットされたエピソードの何と多いことか。もっとも、贅沢を言い出すとキリがありません。大河ドラマよりは多いとはいえ、限られた予算の中で最善を尽くされたと思います。律と真之、アリアズナと広瀬のからみに時間を取られすぎた感があり、あの時間をもっと有効活用できなかったのか、という不満もないではありませんが。

それより残念だったのは、第4回の駄作っぷりでしょう。レオ曹長の「日本の軍人さん、ありがとう」は正直どうでもいいです。あまりに低レベルかつくだらなすぎて、逆にスルーできます。むしろ、明治陸軍があんな軍刀(というより日本刀?)を持っていかせたのかよとか、百歩譲って刀を背中に背負っていたにしても、

背負い方が逆

という根本的なところが間違っている無様さに失笑するだけです。

それより、丁汝昌に対して伊東祐亨が行った、お節介ではあるが彼の真心である忠告を森林太郎ごときに単なる「お節介」と切り捨てさせたことが不快でした。「敵将に対しても真摯に向き合う明治軍人」の姿も「坂の上の雲」が受け入れられている要素の1つだと思います。それを単に「お節介」としてしまうのは、「坂の上の雲」のテーマの否定にもつながります。第4回の脚本・演出は、「坂の上の雲」を全く理解していないように感じます。そこが許せない。森林太郎のくだりは、今思い出しても腹が立つ。

このように多少の欠点はありますが、旅順攻略戦や日本海海戦など、凄い映像も見せてもらいました。

日本のNHKさん、ありがとう

スペシャルドラマ「坂の上の雲」のキャストについては、「NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」キャスト(配役) 第3部補完版」をどうぞ。