NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 第12回 敵艦見ゆ

カテゴリ:坂の上の雲
日時:2011/12/18 23:42

見終わった後、しばらく放心状態になってしまいました。いろいろと不満点はありましたが、堪能しました。あと1回で終わりなんて寂しいなぁ。

旅順艦隊の壊滅が判明して、艦の修理や整備のために呉に帰還する三笠。損傷はもちろん、艦底に付いた貝やフジツボを取らないと抵抗で速度が落ちますからね。

このときの三笠は戦闘態勢ではないので、第9回で倒しておいた手すりは戻され、艦橋手すりやマストに取り付けられていたマントレットも外されていました。すばらしい。これらは日本海海戦時にまた戻されますが。

真之の帰宅により、久々に(まともに)画面に映った女性陣(旅順などで逃げ惑っていたモブ除く)。貞は真之が中佐に昇進したことを「偉くなった」と素直に喜び、多美や季子は「勝てるのか?」と勝敗を質問。真之の「勝つ」の返答に涙ぐみます。

よかった、このドラマに出てくる女性たちはみんなまともだ。「戦争はイヤです」「ロシアと共存することはできないのでしょうか」などと言い出したらどうしようかと。真之の「○○○がかゆうていかん」のセリフといい、NHKはやれば出来る子ですね。やはり、優秀なスタッフは坂の上の雲に取られ、この3年間の大河ドラマは使えないクズカスチームが作っていたということでファイナルアンサー? 一方の陸軍パートはというと、久々に好古登場。永沼秀文中佐にロシア軍後方の攪乱(鉄橋爆破)を命じます。後に好古が永沼に「あのときはエラかったのう」とほめた永沼挺進隊です。好古が永沼に作戦目標を説明するときに少し地図が映りましたが、それとは別にCGの地図などで永沼挺進隊の行動をもう少し紹介してあげてほしかったところです。雪中の騎行シーンがちょっと長いなと感じたので、地図で図解する程度の尺は取れたのでは。まあ、永沼挺進隊が出てきただけでもよしとするべきか……。

永沼挺進隊から好古の旅団司令部、そして満州軍総司令部に報告されたミシチェンコ中将の行動と攻勢の可能性。これは無能な総司令部の参謀どもによって無視されます。松川のバカっぷりはいつものことですが、「騎兵というのは反応が機敏にすぎる」と言い放つ児玉も頭が悪すぎ。実際にどのような発言をしたのかは知りませんが、好古の報告を黙殺したのは事実で、このときの松川と児玉はもっと批判されるべき大失態といえるでしょう。

こうして、沙河会戦(スルー)と「沙河の対陣」の膠着状態(実に寒そうでした)を経て、1月25日午前3時、黒林台の秋山支隊陣地に攻撃が加えられ、黒溝台会戦が始まります。

ロシア軍の攻勢に、総司令部はパニック状態。実に見苦しい。ドラマでは描写されていませんでしたが、援軍を逐次投入するなど指揮も稚拙極まりなく、黒溝台会戦時の満州軍総司令部は極めて能力が低い状態にありました。司馬遼が叩きまくった第3軍参謀レベルなのでは?

そこへ現れる乃木。旅順を落として北進してきた第3軍の合流です。って、乃木?

ようやく私は自分の迂闊さに気付きました。黒溝台会戦(1/25~29)が始まってるのだから、203高地どころか旅順要塞自体が既に落ちているのでした。1月1日の降伏の申し入れも、1月5日の「水師営の会見」(乃木とステッセル)もスルーですか……。水師営がないのは残念だなぁ。尺が……。

そして1月29日。秋山支隊や立見尚文の弘前第八師団(未登場)の苦戦がイマイチ伝わらないうちにロシアが退却。いつの間にか黒溝台会戦が終わってしまいました。

そこへ我らが松川が登場。「難戦でしたな」という軽いコメントに珍しく好古がキレます。

好古「こんなことはいかんのだ」

このときの好古の反応がどれだけ異例であったのかは、原作を読んだ方が分かりやすいでしょう。ドラマでは、好古が不満や非難を口にすること自体が珍しいことであることが伝わりにくいですからね。

伝わりにくいといえば、ロジェストウェンスキーと愉快な仲間たちの珍道中バルチック艦隊の航海の困難さも、十分な尺がないと表現は難しいでしょう。実際問題、あの大艦隊を一隻の落伍も出さずに対馬まで引っ張ってきたのは大変な統率力だったと評価すべき。しかし、航海中の描写として使われたのはよりによってシノベとは。あれでは、

バルチック艦隊、楽しそうだな

としか思えませんよねぇ。それくらなら、バルチック艦隊 vs. イギリス漁船の海戦(笑)でもやればよかったのに。

2月20日、連合艦隊出撃。同日、満州軍の各軍司令官も集結して杯を交わします。最後の会戦となる奉天会戦(3月1日~10日)が近づいています。

3月1日、左翼第3軍が包囲作戦のために奉天への北進を開始。援軍を要請する第3軍参謀の津野田に、我らが暴言大王 松川がまたやってくれます。原作通りですね。

松川:「総司令部は第3軍に多くを期待しておらんのだ

こんな酷いこと、なかなか言えるものではありません。凄いな、松川さん。

そんなことをやっているうちに、我らが退却将軍クロパトキンがまたもや退却してくれたおかげで日本軍勝利。戦闘シーンは迫力があってよいのですが、苦戦でギリギリ持ちこたえていた感じがイマイチ伝わってこないのが残念なところ。砲撃されたり兵が倒されるシーンはあるのですが、黒溝台会戦はともかく特に奉天会戦はそれでもジリジリと前進し続けるという地獄感がないというか。もっと尺があれば……。

何にせよ、奉天会戦が終わったことで陸軍パートの見所は完了。いよいよ海軍パートです。

4月8日、ロジェストウェンスキーと愉快な仲間たちバルチック艦隊はシンガポール沖に到達。真之はバルチック艦隊が対馬海峡を通る日本海ルートか津軽あるいは宗谷海峡を通る太平洋ルートかで苦悩中。

そこへ登場したのは、まさかの楠木正季もとい鈴木貫太郎(後の総理大臣)。赤井英和、太平記のころよりうまくなりましたが、やっぱりヘタ……。

悩みすぎた真之は、父久敬の「急がば回れ」を意識しすぎたのか、太平洋ルートを選択してしまいます。司馬遼が「坂の上の雲」を執筆した後に発見された史料などによると、連合艦隊参謀および東郷平八郎の意見は太平洋ルートに傾いていたようです。この方針で密封命令まで出されたものの、対馬説を主張してこれを覆したのが島村速雄と佐藤鉄太郎だったといわれています。

が、ドラマでは島村速雄1人が対馬説を唱えていました。佐藤鉄太郎、スルーされたのか……。そう思っていたら、エンドロールには佐藤鉄太郎の名前が。え、キャスティングされてたのに最大の出番がなかったってこと? 佐藤鉄太郎哀れ……。

太平洋ルートを選択して艦隊を動かすという報告は本国にも通達され、対馬説を採っていた軍令部を慌てさせます。これを異とする命令を出そうとする動きを一喝する山本権兵衛。ドラマでは、財部彪が山本に知らせていました。財部は山本の娘婿ですね。

5月27日、運命の日。信濃丸がバルチック艦隊を発見、「敵ノ艦隊見ユ、地点二〇三」(実際はモールス信号で「タタタ. タモ 456 YR セ」)を打電します。ここでも「二〇三」が登場することに運命の不思議さを思ってしまいます。

特にキャスティングされていないようですが、三笠で「来たぞ」と知らせて回っていたのは加瀬順一郎だったようです。真之はこの報にどう反応するか……。期待半分で見ていると、やってくれました。変な踊り(笑)。

原作によると、体操をしていた真之を近くで見ていた砲術長の安保清種少佐は、

真之の動作が急に変化して片足で立ち、両手で阿波踊りのように振って、~
「シメタ、シメタ」~
とおどりだした
という。

そして、大本営に打つ電報の電文。特別な演出はありませんでしたが、「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊は直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」に真之が

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

を書き加えたエピソードは欠かせないでしょう。

この後は、原作で紹介されている戦闘準備シーケンスの映像化です。

・石炭投棄
・手すりのチェーン外しと支柱倒し
・マントレットを各部に設置
・入浴、消毒済み戦闘服への着替え
・甲板洗浄&滑り止めの砂まき

ついに、三笠でもバルチック艦隊を視認できる距離に。さて、敵の陣形を見た東郷平八郎のあのセリフはどうするのか。

東郷:「妙な形じゃな」

でした。原作では、参謀長の加藤友三郎の記憶として

ヘンナカタチダネ

と記されていましたが。

細かいなと感心したのは、両艦隊の煙突から出る煙。連合艦隊のそれは黒よりはやや薄いダークグレー。対するバルチック艦隊のそれは真っ黒。日本が使っているイギリスの石炭は質がよく、煙があまり出ないがバルチック艦隊が使っているフランスやドイツの石炭は質が悪いとか。原作でも語られている石炭の質が、映像で再現されています。

そしてZ旗掲揚。意外に盛り上げない演出。ここで目から汁が出ると予想していたのですが……割と平気でした。

東郷ターン開始。

バルチック艦隊砲撃開始。

ついに日本海海戦が始まりました。

胸が熱くなるな。

ちなみに、スルーされると思っていた沖ノ島の目撃エピソードがあったのには驚きました。さすがに宮古島のエピソードはありませんでしたが。

宗像大社神職の宗像繁丸と一緒にいた少年は、エンドロールでは「沖ノ島の少年」という役名になっていましたが、原作によると「市五郎」です。宗像繁丸も「いちごろう!」と呼びかけてましたね。

スペシャルドラマ「坂の上の雲」のキャストについては、「NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」キャスト(配役) 第3部補完版」をどうぞ。

今回、三笠乗員が多くキャスティングされています。「三笠艦橋之圖」を再現するためとしか思えないようなマニアックぶり(笑)。パブリックドメイン指定されているので、Wikipediaから以下に引用します。

三笠艦橋之圖
Wikipediaより「三笠艦橋之圖」(東城鉦太郎)


右から伝令・玉木信介候補生、伝令・三浦忠一水、参謀・秋山真之中佐、連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将、測的係・長谷川清少尉候補生、参謀長・加藤友三郎少将、伝令・野口新蔵四水、砲術長・安保清種少佐、艦長・伊地知彦次郎大佐、砲術長付・今村信次郎中尉、航海長・布目満造中佐、参謀・飯田久恒少佐、航海士・枝原百合一少尉、伝令・山崎嚴亀