大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第22回 父母の肖像

日時:2011/06/12 21:03

今回は天正17年(1589年)正月からスタート。

なぜかイチイチ三姉妹(今回は初は欠席)にプランを発表する秀吉。今回は淀城築城を開陳します。

茶々の腹の子について、秀吉は当時の男としては至って当然な反応として「男の子」を希望します。もう、当時の価値観としては極めて正統かつ自然な言動です。

そこに、またもや出しゃばる江。男でも女でもいいなどと、現代的な価値観を口走ります。

お前、消えろ

一方、茶々は普通に男の子を望みます。交換条件を腹に収めていたとはいえ、まともな反応です。当時の女性の役目は、何より跡取りを生むことだったのですから。今はそのような考え方は好ましくありませんが、とにかく当時はそうだったのだから仕方がない。イヤなら時代劇なんかやらなければいいだけのことなのです。

そんなわけで、孤立し、浮きまくる江。そもそも、生まれるのは秀吉と茶々の子であって、

お前の出る幕じゃねーんだよ

ってことです。主人公が出てくるとイラっとする(というか殺意がわく)のは、「利家とまつ」のスーパーパーフェクトウーマンまつ様以来かな。 取りあえず、生まれたのは「秀吉と茶々の子」だったわけですが、それを中傷する落首にブチ切れ、犯人が見つからないと門番を処刑する秀吉。煽り耐性なさすぎ。当時2chがあったら憤死しそうです。一応これも史実なのですが、今回の大河だと史実を入れても嘘くさくなりますね。キッチリ作った歴史モノだと、逆に嘘くさいエピソードや登場人物すら実在したと勘違いしてしまうものですが。

今回は時間経過が明示されているので、作中描写から時期を考証する必要がありません。

まず、3月に淀城が完成した旨が語られます。そして、5月27日、茶々の出産開始です。真夏の風物詩のごとき入道雲がモクモクしていましたが、5月なのは旧暦だから。現代の暦に直すと7月9日なので、まぁあの入道雲もアリ……かな?(イメージとしては8月って感じですが)

コント(というかありがち描写の連続)のようなシーンの末、無事出産。命名「棄」。これに対してまたもや「あんまりだ」とかみつく江。コイツはホントに当時の人間なのでしょうか。

子どもに悪い意味の名前を付けるのは当時の風習。作中で説明されたように、「捨て子は育つ」という意味もあります。実際に捨てて、直後に拾い直したりもします。まぁ、これは儀式なので、山中にちょいと置き去りにして、別の人がその直後に連れて帰ってくるだけなのですが。

五摂家もしらなかったしねぇ、母の躾が悪かったんですね。>江

その3カ月後には茶々と棄を大坂城に入れて、棄を「鶴松」にリネーム。

鶴松の誕生で立場が微妙になったと動揺する秀次が北政所に愚痴ります。それをまたもや立ち聞きする江。誰か、この女を躾けてくれ。お前の愚痴はどうでもいい。

無事男子を産んだ茶々は、なぜかこのタイミングで男の子を産んだ代わりにパパとママの供養がしたいと言い出します。なぜ今頃になって……。脚本の都合ですかそうですか。

作中では、なぜか浅井は豊臣の仇敵ということになっていました。その変なロジックはどこから湧いて出たのでしょうか。秀吉からすれば、浅井に恨みなどなく、単に信長の命令で攻めただけの相手。仇敵扱いしてきたのは、娘を躾けずに死んだ市と三姉妹なのでは? 勝手に恨んでおいて、その言いぐさはどうかと。

そして、12月に高野山 持明院にて追善供養。「あの巻物は?」と思ったら、直後のシーンで内容が判明。

えっ……。

現れたのは、「浅井長政と市」の肖像画……ではなく、「時任三郎と鈴木保奈美」の肖像画。激似で笑えます。変なところに力が入りすぎ。絵が気になって、三姉妹のセリフが頭に入ってきませんでした。

ラストシーンは徳川方。もう、今回出すという目的のためだけに出てきたという感じで登場のムカイリ竹千代。天正17年の時点では満10歳(数え11歳)。ランドセルを背負って登校する小学4年生です。ぜんぜんそうは見えませんでしたが。困ったね。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第22回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。